軽井沢の女帝と称される広川小夜子さんが再び「マツコの知らない世界」に出演されますね!
別荘地としても有名な軽井沢は本当に素敵な場所ですよね^^
そんな軽井沢をタウン誌「軽井沢ヴィネット」を立ち上げて布教活動を行なってこられた広川小夜子さんご本人の年齢や経歴、気になりますよね?
そこで今回は【広川小夜子(軽井沢)の年齢や経歴は?子供の美愛と旦那についても】としてご紹介していきます!
広川小夜子さんの子供・美愛さんや旦那さんについても調べましたよ♪
広川小夜子(軽井沢)の年齢や経歴は?
画像引用:asobist.com
軽井沢の女帝としてメディアでも紹介される広川小夜子さん!
いつも品があって、ベレー帽をかぶられているのが特徴ですよね^^
そんな広川小夜子さんの年齢は何歳なのか、また経歴はどんなものがあるのかまとめていきたいと思います。
広川小夜子(軽井沢)の年齢は何歳?
年齢は不明
軽井沢の女帝だとされている広川小夜子さんの年齢、気になった方も多いのではないでしょうか?
ただ、残念ながらいくら調べても年齢に関しての情報がなく分かっておりません。
年齢を重ねられている感じもしますが、品格があって素敵な方ですよね^^
今後、年齢に関して何か情報がありましたら追記したいと思います!
広川小夜子(軽井沢)の経歴
【経歴】
- 新潟県出身
- 中央大学文学部卒業
- 写植版下・デザインの勉強を開始
- デザイン会社に入社
- 1972年東京から軽井沢に移住
- 手書きの軽井沢新聞の手伝いを担当
- タウン誌の発行を試みるも一度失敗
- 1979年タウン誌「ヴィネット軽井沢」立ち上げ
※編集長に就任 - 1986年「軽井沢かわら版」復刊
- 2003年「軽井沢新聞」編集長に就任
- 現在に至る
広川小夜子さんは実は学生結婚をされていることが判明しています!
当時は大学などでの学園において「学生運動」などが頻発していた時代でした。
なので女性である広川小夜子さんは社会に出るには「手に職」が最も必要だと考え、中央大学を卒業後に写植版画・デザインの勉強に着手。
広川小夜子さんの努力の甲斐もあり、デザイン会社に就職。
東京目黒区に住み働いていましたが、結婚した旦那様が出身地の軽井沢に戻りたいと話し1972年に軽井沢に移住。
当時軽井沢にはデザインを請け負う会社はなく、地元の印刷会社が協力してくれたとのこと。
ちなみに東京のマンションを売り払ったお金で写植機を購入したそうですよ!
軽井沢のタウン誌を立ち上げた編集長として有名ですが、本当に1から始めたパイオニアだということが良く分かりますね^^
広川小夜子(軽井沢)の子供の美愛と旦那は?
現在では広川小夜子さんの子供・愛娘の美愛さんも軽井沢のタウン誌「ヴィネット」に携わられています!
では結婚した旦那様ってどんな方なのか、そちらも調べていきましょう。
広川小夜子(軽井沢)の子供:美愛
- 子供は愛娘1人
- 名前は美愛(みまな)さん
広川小夜子さんの子供は娘が1人いることが分かっていますね^^
以前から「マツコの知らない世界」などに、母親である広川小夜子さんと一緒に出演されることがありますのでご存知の方も多いと思います!
現在子供(娘)の美愛さんは、母親が立ち上げたタウン誌「軽井沢ヴィネット」の編集長をしています。
画像引用:軽井沢トラベル
さらに関連会社の株式会社アドエイドの代表取締役社長としての顔もあります!
ちなみにこちらの会社は、軽井沢新聞の親会社としても知られています。
【株式会社アドエイド】
- 広告代理業、編集記事の企画・制作
- セールプロモーションの企画・実施
- イベントなどの企画・プロデュース
- Webコンテンツの企画・制作
- ポータルサイトの運営
また、広川小夜子さんの子供(娘)美愛さんは、東京と軽井沢の2か所を拠点に生活をされているそうです!
出身地は軽井沢だと公表されていますので、1972年以降に生まれたことが分かっています。
ただ他に情報はなく、結婚しているのかも分かっていません。
広川小夜子(軽井沢)の旦那は誰?
旦那様は一般人
広川小夜子さんの結婚した旦那様については情報がほとんどありませんでした。
学生結婚をされているとのことなので、同じく中央大学の学生だったのではないかと思われます!
おそらく今後も結婚した旦那様について公表されることはないのではないかなと思われます。
何か新しい情報が入り次第、追記したいと思います。
まとめ
以上【広川小夜子(軽井沢)の年齢や経歴は?子供の美愛と旦那についても】としてご紹介してきました。
さまざまなメディアに出演されている軽井沢の女帝と称される広川小夜子さん・美愛さん親子^^
本当にパイオニア的な方だというのが良く分かりましたね♪
最後までお読みいただきありがとうございました。